そもそも103系とはどんな電車?
-
103系は高度経済成長期の1963年に登場しました。当時は大都市を中心に通勤・通学客が急増した時期。そのため、急増する乗客に対応できる新型車両が求められました。103系の登場以前に101系電車がデビューしましたが「コストがかかりすぎる」という理由で大量生産を断念。103系には新性能かつ高いコストパフォーマンスが求められたのです。
-
103系は見事に上記のミッションを達成。マイナーチェンジを経ながら、1984年までに計3,447両が製造されました。大阪環状線に103系が導入されたのは1969年のこと。導入以来、40年以上の長きにわたって、大阪の街を走り続けたのです。
たくさんの観光客を乗せて走る103系
-
私はオレンジ色の103系に乗るために、西九条駅からゆめ咲線に乗ることにしました。鉄道ファンが見守るなか、103系桜島行きが入線。普段と変わらない美しいオレンジ色の車体でした。最後に残ったオレンジ色の103系は車内こそリニューアルされていますが、正面は窓サッシ以外は変わっていません。国鉄時代に生まれた車両らしく勇ましい顔をしています。
ゆめ咲線にはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)があるため、車内は観光客で大賑わい。しかし、ほとんどの乗客は103系の引退に気に止めていませんでした。
9:49分、103系はゆっくりと西九条駅を発車。103系らしい重々しいモーター音が車内に響きます。また、最近の電車では感じられない下から突き上げるようなゴツゴツとした乗り心地も健在でした。
-
車内はリニューアルされており、あまりオリジナルの雰囲気は感じられません。それでも、頑丈なドアは今でも存在しています。子供のときはよくドアにある黒ゴムを触っていたものです。
-
ユニバーサルシティー駅で大半の乗客が降り、9:57分に103系は終着駅の桜島駅に着きました。103系は10:15分発西九条行きになるので、しばしの間、撮影タイムです。側面部分は窓枠が変わっている車両もあれば変わっていない車両もあります。この違いは、その時々の改良メニューによって生まれたもの。103系ファンのなかには、このリニューアルメニューの「違い」を楽しんでいる方もいます。
-
103系の運転台です。後付けされたと思われる機械の多さに驚きます。後付けされた機会は103系の長きの活躍を示す「証拠」といっていいでしょう。ところで、103系はブレーキをかける度に「スフォー」という人間のため息のような音が聞こえます。
-
折り返しの西九条行きは一番前に立ってみました。ゆめ咲線の正式名は「桜島線」といいます。USJ開業前は単なる通勤路線でしたが、USJの開業により観光路線に大きく変貌しました。私はUSJ開業前に「桜島線」に乗りましたが、当時の雰囲気はあまり残っていませんでした。安治川口付近にある橋梁もきれいになっています。
-
私が訪れた日は平日でしたが、多数の鉄道ファンが訪れていました。103系の運用は公式に発表されていないので、自分で予測するしかありません。なお、撮影の際は黄色い点字ブロックの外に出ないように気をつけましょう。
お名残乗車のついでに見ておきたいポイント
-
今回はゆめ咲線を紹介しましたが、10月3日までは103系が大阪環状線を走る可能性もあります。ここでは、お名残乗車の際に立ち寄っておきたいポイントを紹介します。
ひとつめは寺田町駅外回りホームにある昔の駅名板です。この駅名板は大阪環状線の前身である城東線が高架になった1932年に設置されたものとか。いずれにせよ、手書きの駅名板は貴重な存在といえるでしょう。
-
二つ目は玉造駅近くにある商業施設「ビエラ玉造」です。形から見てわかるとおり、103系をイメージしていることがわかります。「ビエラ玉造」とセットにして103系を撮影するのもおもしろいでしょう。
というわけで、よい「鉄分」を!
ライター:新田浩之